(©こうの史代・双葉社・「この世界の片隅に」製作委員会)
はわわっ、羽輪のどかですっ!
今日は、話題の映画「この世界の片隅に」を見て来ましたよー!
戦争というものの悲惨さが伝わり、これから未来永劫、絶対にこのような悲劇を繰り返してはいけないなと思いました。
それと同時に、この映画、バカには理解が難しいなとも感じました。
というわけで映画「この世界の片隅に」を見て思ったことについて書いていきます。
ネタバレ注意です!
目次
たまに分かりにくいシーンがある。
この映画、ちょこちょこ分かりにくいシーンがあるんですよ。そのせいでバカには分かりにくい映画になってる。
例えば、遊郭の遊女である、白木リンは、物語の冒頭で屋根裏から出て来て、浦野すずからもらったスイカを、食べてた少女が成長した姿だった、とかね。
確かに、白木リンは主人公の浦野すずに対して「昔一度だけ、女の子にスイカを持って来てもらって食べたことがある」というセリフがあります。
ただ、スイカを食べてた少女と、白木リンが同一人物であることを示唆するセリフは、その一言だけだったので、ぼーっと映画を見てると気づきません。
僕も他の人の映画の感想を読んで、初めて気づきました。
もうお分かりですね、
バカとは僕のことです!!
なんかねー、時々よく分からないシーンあってねー、純粋に楽しめなかった!
とくに最後のあたりのシーンで、片腕がなくて、血だらけの女性と少女が焼け野原の中にいるシーンがあったんだけど、あのシーンってなんだったの?
主人公の浦野すずも片腕なかったけど、あの女性ってすずなの?
でもあのシーンで片腕がない女性は死んでたっぽいけど、すずは生きてるよね?
だって最後にすずは家族みんなで幸せそうにご飯食ってたじゃん!
じゃあ、あの女性はなんだったの?すずに似てる別の人?
本当にわかんない!マジでこのシーンがなんのためにあったのかが、わかんないです。批判とかじゃなくて本当によく分からなかった。
わかる人は是非詳しく僕に解説してほしいです!あのシーンがわからない、モヤモヤがずっと残ってるんです!
↑これ読んだらわかるのかなあ?
あと、最後にすずと周作の間にいた少女って、すずと周作の子?でもあの子だけ一人すごく汚れていたので、拾って来た子かな?
気になって他の人のブログを読んで調べたら、どうやら拾って来た子だそうです。
まあ、冷静に考えたら、確かに戦争終わった直後なのに、すずと周作の子があんなに成長してるのはおかしいわな。妊娠してた描写もなかったし。
ってことは、焼け野原で、片腕がない女性の横にいた少女とすずと周作が引き取った子は同一人物なのかな。
そして片腕がない女性はこの引き取った少女の母親ってことかな?謎が解けたっぽい?
このようにイマイチよく分からなかったシーンがあるので、僕のようなバカには少し理解が難しい映画だと思いました。
みんな泣けるって言ってたけど、泣けなかった
他のブログの人の感想とか、ツイッターの感想とか見てたら、絶賛の嵐で、泣けたっていう感想が多かったです。
しかし僕はこの世界の片隅にを見て、全然泣けませんでした。だから、泣ける人が羨ましいです。煽りではなく。
僕は、君の名はとかSHIROBAKOで泣ける、感受性の高い人間なんで、泣けると思ったんですけどね。
僕の頭がバカすぎるのか?泣く要素も理解できないほどアホなのか?違う意味で泣けてきますね。
「この世界の片隅に」よかったところ
(©こうの史代・双葉社・「この世界の片隅に」製作委員会)
最初の方でこの映画のマイナスな部分を書いたので、次はプラスのところも書こうと思います。
最初にいろいろ書きましたけど、総合的に見たらいい映画でしたよ。考えさせられる内容でした。
物語の構成によって戦争の悲惨さが引き立つ
今まで、戦争の悲惨さとか、あんまりよくわからなかったんですよ。話には聞いてるけど、臨場感が無いというか、どこか別の世界であったような出来事として捉えていました。
僕は今22歳なんですけど、僕が生まれる、はるか昔の出来事ですから、戦争を身近に感じれないのは当たり前といえば当たり前です。
しかし、この映画を見て、戦争がいかに多くの悲しみを生むかということが、身に染みて理解できました。
この映画の構成がいいので、しっかりと伝わってくるんですよ。
この世界の片隅には、上映時間2時間のうち、半分くらいが平和な日常パートになっています。(平和と言っても戦時中ですけど)
物語の最初に、主人公である浦野すずが、北條周作のもとへ嫁入りするために、広島から呉に渡ってきます。
そして北條家では苦労もあるけれど、ある程度平和に楽しく暮らしていたんです。そうやって物語中盤ぐらいまで、じっくりと平和な日常を描いてからの、物語後半で一気に空襲が本格化します。
平和な描写を長く映していたからこそ、一気に空襲が始まった時のショックがデカかった。平和な日常が一瞬にしてなくなるんです。あんなに穏やかだった日常が一瞬で粉々です…。
一般人の視点から戦争の悲惨さを見事に表現
(©こうの史代・双葉社・「この世界の片隅に」製作委員会)
この映画は軍人の目線はなく、一般人の視線から描かれているので、ただ一方的に傷つけ、奪われる、戦争の悲惨さが、身近に感じられました。
なにより見ててつらかったのが、周作の姉、黒村徑子の娘、黒村晴美をすずが助けることができなかったシーンです。
すずは晴美と手をつないで外を歩いていたんですが、時限爆弾による爆発で右手を失くしてしまいます。
そして右手の先にいた晴美は時限爆弾の直撃を受けて命を落とします。
その後、すずは晴美の母、徑子に「どうして娘を助けてくれなかったの!この人殺し!」と罵倒を浴びせられます。
このシーン本当につらい。すずは右手を失くしたことで、大好きな絵を書くことができなくなった。そして晴美を救えなかったことに対する罪悪感が心の中を渦巻いている。
徑子は夫に続き、最愛の娘まで失ってしまった。すずに罵倒を浴びせたが、本人もすずは悪くないことは十分にわかっています。
でも行き場のない悲しみと怒り、絶望を何かにぶつけるしかなかった。
誰も悪くないんです。今までの平和な日常を一瞬で破壊し、途方もない量の悲しみを生み出す戦争というものは、あってはならないものだと強く思いました。
他に、戦死者が出た家に、ご近所さんが集まり、浮かない顔をしながらも「おめでとうございます」といってたシーンも印象に残っています。
当時、戦争で死ぬということは名誉なことだったので、そのような言葉をご近所さんは言っていたのでしょう。
遺族は相当複雑な気持ちだったでしょうね。表向き、名誉な戦死として扱わねばなりませんが、戦死に名誉もクソもあるか!ってかんじですよ。
遺族は、ただ、生きていてほしかったと思うばかりです。異常な時代ですよ、ホントに。
このように一般人の目線から描写することで、戦争の恐ろしさを、よりわかりやすく伝えることに成功しています。
人間の強さを表す描写が見る人に希望を与える
物語の最後で終戦を迎えます。もうそこらじゅう、焼け野原です。人もたくさん亡くなりました。
絶望が蔓延しています。しかし、そのような場面でも主人公の浦野すずは立ち上がります。
孤児の少女を引きとり周作と共に育てることを決心するのです。最後は、北條家の人たちと、すず、周作、少女のみんなでご飯を楽しく食べたり、話しをしたりするシーンで終わりを迎えます。
戦争で多くの命が失われたが、生き残った者は新たな決心をして、強く生きることを誓う。
そして、また新たな命を育む。このように、戦争で奪われるだけでは終わらない、どれだけ奪われようが、これからの人生をしっかりと自分の足で歩んでいく姿が、見る人に希望を与えています。
やっぱり、救いがある終わり方はいいよね!戦争の悲惨さから、ハッピーエンドとは言えないんだけど、少なくともバッドエンドではない。
これからの生き方次第でハッピーエンドも勝ち取れるかもしれない。そんな希望がある終わり方でした。
最後に
頭パーリーピーポーな人にとってはぶっちゃけ面白くないかもしれません。僕も面白いとは思いませんでしたし。
ただ、いい作品だなとは感じました。映画が終わった後、しんみりと感じる感じ。
まあ、僕がバカなせいで、ちょっと消化不良なところがあって、モヤモヤもしてたけどね!原作を先に読んどいた方が、より深く理解できたかもなあ。
これらの書籍を読んでもう一度見てみたいなと思いました。
じゃあね~はわわ~。